スマホで子守り

スマホで子守り

今朝の新聞に「小さな子供をスマホで子守り」というような内容の記事が掲載されていました。記事を書いた記者自身もまた、「わが子(3歳)もスマホを与えると喜んで静かにしているので、つい与えてしまうことがある」と書いています。

スマホに限らず、ゲーム類、テレビの類はいつだって、「幼少期からあまりやらせたり、見すぎるとよくない」と言われており、親としてわかってもいることではあります。

でも、その記者も書いていることですが、スマホの場合は大抵、どこでも親が持っているという利便性があり、とっさに「子供をしばらく静かにさせたい」「機嫌良くしておきたい」というときに準備しておかなくてもぱっと取り出せて渡せて、便利なわけです。

逆に言えば、子連れで出かけるということは、多くの場面で「子供を静かにさせなくてはならない」ということがあるということです。

3歳から幼稚園前ぐらいまでの子供はなかなか「ここは電車の中だから静かにしなさい」と言ってもそれを理解し、実行できるところにいくまでは時間がかかります。躾ける、教えるということは、繰り返して行く体験の中で覚えていく、そういう年齢なわけで、もっと大きくなれば、「ダメな理由を説明する、納得させる」こともできますが、小さな子は単純に教え込んでいくわけです。

叱って教えるということも、これは親の声もあれば子供も泣いたりするわけで、なかなか場所や状況によってはできないときもあるわけです。

そこでスマホを与えて、子供がとりあえず満足して遊んでいてくれるならいいか、という場面が増えてくるんですね。

ちなみにわが家の末っ子、小学校1年生ですが、もうこちらは幼児を超えて、スマホもiPadも自由自在に使いこなします。それが教えたわけでもないだけに、時々「小さいときにやらせたからかな」なんて思わないでもないのですが。

まぁ確かに視力の問題とか、思考能力とか、やはりなるたけ子供は外遊びとアナログな環境で育てたいとは思います。でも同時にこういう時代に、デジタルなものをすべて拒否して成長していけるわけでもありません。

使うためのルールや、マナー、それが与える影響などについて常に親が子供のことを考えながら見守っていくしかないのかなと思います。

ベンツEクラスワゴン

積ん読

本屋さんでとりあえず、本を選んで購入する。帰宅して、そのへんに積んでおいて、なかなか読むチャンスがないまま日々すぎていく。

こんな話をよく耳にします。俗に言うところの「積ん読」ってやつですねぇ。

私の夫はその典型的なパターンのようです。

しょっちゅう本屋さんをのぞいて、本を購入してきます。夫の特徴はミステリーの文庫本が中心とはいえ、ときどき、何を考えてるのかいきなり風景の写真集とか、旅行記とか選んでくるんですよね。こういう写真集って高いんですけど。それでフィルムラッピングみたいのされて、つやつや光ったまま、ええ、寝室の小さなテーブルのところに積ん読されてるんですよ。

せめて、ラップぐらいはずそうよ、夫よ。

私は真逆です。

なにしろ活字中毒ですから。本当にいくらでも本を買っていいと言われたら、毎日本屋さんへ行くでしょうね。

実際にはそうそう本にばかりお金をかけていられませんから、まぁもっぱら図書館通いです。

新刊ハードカバーで、好きな作家やどうしても欲しいと思うものを月に何冊か選ぶぐらいかな。

図書館では毎回限度いっぱいの20冊借りちゃうのです。すごい量ですよ。ってか重いし。なのでリュックで言って、これから夜逃げするんじゃないかぐらいのパンパンにふくれた重い重いリュックを背負って帰宅するんです。

それで、私も寝室のベッド脇に確かに借りた本とか購入した本を「積んどく」わけですが、それは「積ん読」ではなく、単純に積んでるだけ。

あっという間ですよ。だいたい3~4日ですべて読み切りますね。積んどいた本がどんどん元のリュックに戻っていき、新刊で購入したものは本棚におさめられて、また、まったいらなテーブルに戻ってます。

図書館行くヒマもなく、本買うお金もないとき、しょうがないから夫の「積ん読」から拝借。

それでも全然、夫は気付いてませんからねぇ(笑)

脈絡のない、だけど時折、めっけもんのある、不思議な夫の本の選択を、積んどいてあるタイトル眺めながら、私も楽しんでます。ミステリーとかサスペンスは私も好きだけど、冒険モノとかあんまり選ばないから。前に一度、ずいぶんシンプルな装丁のきれいな本だなと思わず手にとったら、詩集だったことがあるんだけど、いったいアレはなんで選んだのだろうなぁ???

夫の本の趣向は謎だらけです。